サイレントマジョリティー

こんばんは。

順調に今日も暑かった阿賀町公営塾 黎明学舎です。


今日は生徒たちと議論に熱が出た話から考えたことを書き綴ってみようと思います。

(長文です)


テーマ:iPhoneか?Androidか?

キッカケ:私がスマホを落としてしまったので替えようとした

背景:私はスマホはAndroidを使ってるが、PCはMac。(生徒はほとんどiPhone)

迷い:Apple製品にしかないAir Dropというスーパー便利な機能をスマホ&PC間で使いたいけど、Androidの方が本体代が安いし性能も高いので躊躇。

生徒への問い:iPhone利用者として、iPhoneの良さって何?

ゴール:生徒がiPhone販売員として売り込み、私にiPhoneを買うことを決断させる。


長い議論の結果、、、


現在も躊躇中です笑


生徒からはほとんどiPhoneにあるAndroidとの決定的な差は出て来ませんでした。

自分が如何に意識せずスマホを使っていたかということ、何かを売り込むにはそれなりの知識が必要なこと、あと人に何かを買ってもらうことはとても大変だということなど、世間話のつもりが、意外に仕事の話につながり結果オーライでしたw


そこで、私はiPhoneとAndroidの違いについて自分なりに色々調べ、考えてみました。

すると、ひとつのしっくりくる着地点がありました。それは。。。


「iPhone」は「ライフスタイル」

「Android」は「ライフルーツ」


デバイスの概念として、この表現はすごくしっくりきました。


Appleは「iPhoneのある生活」そのものをデザインしてユーザーに提供しています。ユーザーの欲求に全て解決するツールとしてiPhoneがあり、ソフト開発もAppleが行っているためカスタマイズしなくても、無駄がないその完成品(iPhone)を使うだけで豊かな生活が送れる、そんな存在。


Androidはソフト開発とハード設計がバラバラということもあり、ユーザーが一人ひとり「自分にとって豊かな生活とは?」を考え、自分なりにカスタマイズしなければなりません。自由ではあるけれど、不完全なものです。


つまり、それぞれの両面を踏まえると。。。

iPhone は「完成された不自由さ」

Android は「未完成な自由さ」


さぁ、私はどっちにするのでしょう???

それは、、、、9月の新型iPhoneの発表内容次第です!!ww


いやこれ、今回はスマホのことを言いたかったわけではないんです。

生徒と話してる時に感じたんです。


iPhoneはたしかに完成品で便利で何も考えなくても感覚的にストレスなく使える。

けれど、これって逆に考えると思考停止になったり、誰かが決めたルールの中で不満も持たず時間を過ごして行くだけになるのでは?と思うのです。「茹でガエル理論」のように。


議論ではこんな意見が出て、こんな背景につながるのでは?と考えたのがこちら。

「iPhone持ってるのは、みんなが持ってるから」← 同調圧力が働いている

「iPhoneは左上を押すときに落としやすい」← そもそもアイコンが固定されていること自体に不満を持っていない。当たり前を疑うことがない。

「iPhoneはパノラマ写真が撮れる」← Androidも撮れる。比較概念・比較知識が少ない。


どちらが優れている、ということではありません。


当たり前を疑い、自分で考え、自分で調べ、自分で選択し、自分というものを表現する、そんな意識を持つ大切さを、この世間話から感じたということです。


ただ生徒のみんなには、誰かと違うことにためらわず、選択を人に任せず、NOな時はNOと言い、自分なりの夢を持ち続け、自分らしく・たくましく生きていってほしい。


そう願う、黎明学舎前から見える夕焼けが綺麗だった金曜日の夜でした。

challenge change chance

阿賀黎明高校 高校魅力化プロジェクト

新潟県初の試みとして、平成28年に発足した高校魅力化プロジェクト。 阿賀黎明高校で学ぶ生徒のために阿賀町が支援し運営する公営塾「黎明学舎」に加え、令和3年度から教育留学生の受け入れを開始。

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